続・禁煙ファシズム

麻野さん(id:y_u_k:20050114#p2)にトラックバック頂いたので、真摯に答えてみようと思います。

私は、歩きタバコや吸殻を投げ捨てるクソ喫煙者を見ると、すれ違いざまにぶん殴りたいと思います。
そういうマナーの悪い喫煙者が糾弾されるのは当然ですが、マナーが別段悪くない…と思っている喫煙者でも、その煙を制御することは可能じゃありません。
私からすれば、正直言って、密閉性が高く煙の漏れない 「禁煙ボックス」 で常に吸ってもらうようでなければ、本当に分煙したことにはならないんです。

俺の言う「分煙」は、喫煙者と嫌煙者の完全な棲み分け、です。だから麻野さんのおっしゃる「煙の漏れない禁煙ボックスで吸ってもらう」も含まれます。麻野さんもおっしゃっている通り、「歩きタバコや吸殻を投げ捨てるクソ喫煙者」は、そのクソ喫煙者の問題であって、タバコそのものの問題ではないんですよ。尾籠な例で恐縮ですが、「いくら我慢できなくたって、普通、いい大人が道ばたで野グソせんだろう?」ってこってす。
前に書いた、

極論すれば、いくら好きだからって、TPOをわきまえずにシュールストレミングを開けたりしないでしょ?ってことです。

に思いを込めたのですが、喫煙者は、嫌煙者がかなりの数いることをふまえた上で、迷惑をかけないように、きちんと棲み分けをした上で吸えば問題ないですよね、と言ったつもりです。
元来、タバコは至る所で吸えた経緯があるので、シュールストレミングやドリアンと同列に語るわけには行かない部分はあるにせよ、これだけ世間で「タバコ、嫌い!」という人が出てきた以上、ある一定の棲み分けは必要でしょう、喫煙者は喫煙者で嫌いな人に配慮して吸えばいいし、嫌煙者は嫌煙者でタバコが好きな人がタバコを吸うことそのものに偏見を持たないようにする(分煙さえきっちりできていれば問題ないと考え、喫煙者に理解を示す)ことが大事だ、と思うわけです。
もう一つ。

でもタバコ以外に、他人に危害を加える嗜好品って、見当たらないんですよね。

果たして本当にそうでしょうか? 世の中、納豆の香りを嗅ぐと気分が悪くなる人もいますし、コーヒーの香りが大嫌いなんて人もいます*1。俺の友人には、フジツボが大嫌いで、フジツボを連想させるような細かいブツブツを見ると本当に気分が悪くなる、という奴もいます。
何をもって「危害」とするかには定義の問題がありますが、少なくともタバコで気分が悪くなる人がいるように、他のものの香りや姿で気分が悪くなる人もいます。麻野さんにとっては、嗜好品の中でタバコだけが「危害」の元かもしれませんが、普段我々が何とも思わないようなものを「アレは嫌だな」と思っている人も少なからずいるのではないでしょうか。
麻野さんがタバコが嫌いなのもよく分かりますし(俺も今や大嫌いです)、タバコが嫌いな人が多数派を締めている現状も認識しています。にしても昨今の嫌煙指向は行き過ぎではないか、と警鐘を鳴らしたつもりです。
また例を挙げますが、自動車の排ガス、これは体に悪いことが分かってます。でも、「自動車は必要最小限の公共交通機関だけ認めて、個人が自動車を持つことを認めるな!」という主張は起こりません(少なくとも、多数派になりそうだという話は聞いたことがありません)。何故でしょう? 一つの大きな理由は、害があることは分かっていながら、それが便利(必要、ではないところに留意)であって自分も使うから、です。タバコの場合、体に悪いことが分かっており、昨今の嫌煙指向の強まりから、本来吸っても構わないような場所すら閉め出されています(喫煙室の閉鎖、とか)。違いはどこにあるのでしょう? 俺は、ひとえに「それが嫌いな人、なくなっても困らない人の数の差」だと考えます。
いままでマナーの悪い喫煙者が「相手の立場に立って考える」ことをしてこなかったからと言って、仕返しのように嫌煙派までが「相手の立場に立って考える」ことを止める(=まさに「禁煙ファシズム」を推し進める)必要はないんじゃないでしょうか?

*1:納豆やコーヒー(の香り)は体に悪くないじゃん、という意見は今回の議論の本筋から外れているので除外します。嫌いな人にとっては、納豆なんぞ単なる腐れ豆ですし(それは俺だ)、コーヒーなんぞ単なる焦げ汁だそうです。