続・原発の要否

いやあ、クソ野郎呼ばわりされちゃった〜(笑) 論旨だけで人格否定までされるとは思わなかったなあ。これ、いわゆる「自己紹介乙」ってやつ?
とりあえず、リスクとハザードの違い知ってる?とか、京都議定書orポスト京都はガン無視かよ、とか、メガソーラーと分散型ソーラーのコストのトレンドの違いも知らんのか、とか、為替レートの違いを言い出したら何でもありじゃねえか(=ご高説の自動車の経済論だって石油価格etcの外部要因に依存するじゃねえか)、とか言っておきます。見も知らない人相手にまず人格否定から入る輩になんぞ、ばからしすぎて真摯に反論する気も起きんわ。
なお、既に原発がある前提の生活モデル&コストレベルになってる以上、「原発がなかった頃には」とか「もし原発を使ってなければその予算が」とかなんて議論はクソの役にも立ちません。つまり、「原子力の予算を全部他のエネルギーに回せば」なんて議論は、少なくとも短・中期的には全くのナンセンスでしょ。

あり得る「脱原発」の解は

しばゆーさんのところのコメントにも書いたけど、消極的賛成派としては、もし本気で脱原発を目指すんであれば、いずれにせよ京都議定書(及びポスト京都)は無視するしかないだろう、と思ってます。これ、相当大きな政治判断ですよね…。
その上で、いずれにせよ化石燃料は枯渇するしかないので、短期的にはガスコンバインド、中期的には(A-)PFBCとかIGCCとか(可能ならIGFCまで)の高効率石炭火力に頼って、長期的にはその間に既存技術のコスト低下の研究、新技術の実用化研究をできるだけ進めて、地熱*1と太陽光をはじめとするrenewableに移行せざるをえんでしょう(これはIEAのblue scenarioなどにも一致してますが)。果たしてこのコストを受け入れられるんだろうか…? それこそ、強制的手法でもなければ受け入れられないんじゃないのかなあ。だとすると、これも相当大きな政治判断だなあ。
少なくともいまの政権に、こんな大きな政治判断を2つも下すガッツはないように思うのだけど…(sigh)

リスク?

原発はリスクが大きい」と、多くのコメントを目にします。
まず、リスクとハザードは異なることを指摘しておきたいと思います。ハザード(災害の大きさ)に、それが起こる確率を乗じたものが「リスク」です。
確かに、一度事故が起これば「ハザードは」大きいです。が、基本的には、かなり悪い偶然が重ならない限りは、今回の福島規模の事故は起こらないだろう、というのが俺の見解です。事実、「止める、冷やす、閉じこめる」の3原則のうち、地震に際して「止める」ことは完璧にこなしたわけで、その後の想定外に大きい津波で関連機器がやられたことで「冷やす」機能の喪失、ひいてはそこから「閉じこめる」ことの失敗に繋がっているわけです。事実、新潟中越沖地震では、変電設備?の火災はあったものの、無事に冷温停止に持って行けているわけですし、今回の地震でも福島第二も女川はきちんと冷温停止してるわけですし。
既に原発が存在する以上、今回の事故を更なる教訓として、さらに事故確率を下げることによって、さらにリスクを下げるのが一番安上がりなんじゃね?と思うわけですが…。
ナンボ確率が低かったからって、起こってしまった場合のハザードの大きさは確かに無視できないんだよなあ(ハザードが無限大に大きければリスクも無限大に大きくなるんだよなあ)、って思いがあるのが、俺が「消極的」賛成派でしかない最大の理由です。ましてや、今回の福島第一の事故を軽視しているわけでは決してありません。

一方で

技術的な比較や有用さの論理ではない、心理的な問題だ、というご指摘は、まったくもってその通りで、反論のしようもありません…。
で、実際に不安感、不信感を解消するためには、何をしたらいいんでしょうね。俺は、「真摯に説明すること」「いまある他の原発を実際に安全に動かし続けること」に他ならないと思うのですが…。

というわけで

起こってしまったハザードを最小化するために現地で非常に苦しい闘いを続けている東電の皆さん、自衛隊の皆さん、消防隊のみなさん、その他関係者の皆さんに最大限の敬意を表します。もう最大限に頑張ってると思うけど、それでも「頑張れ!」と応援させてください。

おわりに

たぶん言いたいことは言い尽くしたと思うので、これ以上議論するつもりはあんまりありません。言いたいのは、あくまで、俺は(俺の乏しい科学的知見に基づいて)どう考えてるかであって、正しい議論がしたいわけでもないし、「本来、日本のエネルギー供給のあるべき方向性がどうなのか」みたいな大上段の議論をするつもりもないので。
が、科学的、論理的批判はナンボでも歓迎です(ブクマコメントも含め、人格否定や根拠のない誹謗中傷は以降ガン無視しますよ)。どうか俺の目を覚まさせてくれるような論理的説明を下さい。現実的な代替案が有れば(例えば、上述の2つの政治的決断がなされるのであれば)、俺はいつでも原発不要論に鞍替えします。
危険だからやめるべき、ってのは百も承知で、だったら既にあるものをどうやめるべきで、代わりにどうすればいいの?ってところが解決されないと、やめるにやめられんでしょ、ってコト。そういう意味じゃ、俺は相当ドライなリアリストなんじゃないかな。それがクソ野郎だってんならそれでも一向に構わないけど、だったらまあ、少なくとも俺の「目が覚める」ことはないわなあ。

*1:地熱に関しては、技術研究というより、既存の温泉事業者さんたちに「影響がない」ときちんと説明できるだけのエビデンス集め&その科学的知見に基づく真摯な説明と、国立公園法の改正を主とする地熱発電所立地地点に関する規制緩和の2本立て、ってことだろうけど。